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ものつくりの生活と仕事から。 大島寛太の日記パート2

ひとりしずか

  
kine.jpg


今年の年末最後には、杵をつくりました。

龍神村の若き林業家(って事は僕も若いってことだ・笑。同い年だから)の大江君に、杵にするのにヒメシャラないかな?と聞いたのが今年の初め。頼んだ本人が忘れかけていた事をちゃんと覚えていてくれて、山で伐って、乾かしたものを今月の初めに届けてくれた。

妻の実家で年末の恒例になっている晦日の餅つきに、滑り込みで間に合って良かった。

ヒメシャラが、この辺で昔から杵の好適材とされるのは、目の緻密なことと、適度な重さがあること、それから樹皮をつけたまま杵にできるので、割れにくいこともあるのだと思います。

しかし餅つきってなんでこう盛り上がるんだろう・笑。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


今年も残すところあと1時間。

お月さんがきれいに出ています。

鉛筆の先のような昴のとんがりの先に、ひときわ明るい星がひとつ。
その下でオリオンが背筋を伸ばして力一杯に弓を引いている。

自分の生きている時間の束の間を感じ、
ひとりしずかの年の瀬に、
なにを考えるのももったいない。







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  1. 2012/12/31(月) 23:49:39|
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雪国

うみへのみち


先日、事情があって北海道の実家へ帰っておりました。
着いた日の夜から、雪がしんしんと降っていて、あたりは一面の雪景色。
僕の一番好きな故郷の姿です。




げんふうけい


もう何百回も歩いた石狩の浜辺。ここが僕の原風景です。
波打ち際に打ち上げられた流木、小石、貝殻、ペットボトル、人形、クジラの骨、タイヤ

流転の果ての腐食と、風化の果ての姿が、否応なくあらわにされてしまう場所。

僕の価値観の原点はここ。
この醜美を併せ持つ、波打ち際の美術館が僕の価値観の原点です。





かぞく


そして初公開?の我が愛する家族たち。
でした。

  1. 2012/12/17(月) 23:50:17|
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第2回 くらしの手しごと市

てしごといち2


開催から日数が経ってしまいましたが、第2回 くらしの手しごと市、無事に終了いたしました。
38店のブースが、紅葉の高山寺境内に並び、会場の10時からたくさんの方に来て頂くことができました。





てしごといち


午後からは多宝塔をステージとしてAWAYAさんと、飛び入りのナツオmeets南風によるライブもありました。お昼を過ぎて、ちょっと場が停滞しはじめた頃のちょうど良いタイミングで、AWAYAさんのアンビエントな楽曲と、来年は母になるなっちゃんのメッセージソング。どちらも本当に良かった。雑念なく、音と声にひたる事ができました。

会場へお越し頂いた皆様、どうもありがとうございました。
市内、県内はもとより、県外から出店してくれた作家の方、友人たち、本当にありがとう。

先日の打ち上げ&反省会は、来年度の第3回に向けてのスタートでもありました。

和歌山県田辺市という人口8万人のまちで、息を長く、欲張らず、焦らず、手しごとへの関心を喚起し、理解を深めて頂けるような場としたい。このためには出 店してくださる方たちの理解とおおらかさも、どうしても必要なのだと思います。来年、このイベントが突然、豹変することはないけれど、少しずつひろがりと 背景を豊かにしてゆきたいと願っています。小さな木立が、やがて森をつくってゆくように。どうぞ宜しくお願いいたします。







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  1. 2012/12/17(月) 15:44:45|
  2. event
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高松3


minkanokokoro.jpg


高松の3日目は、瀬戸内生活工芸祭にも出店されていた中本さんに教えてもらった四国村へ。
まず入り口の説明文でガツンとやられます。流行に媚びない名文だと思ったので掲載。




サトウ締め小屋



四国中の、時の流れに忘れ去られてしまいそうな古民家を移築してきて設立された民俗村的な場所で、敷地は広大。現在33棟の古民家が移築保存展示されていて、ほぼ全ての民家に入る事ができて、写真撮影も自由。




satousimegoya3.jpg


ここの素晴らしいと思ったところは、立派なお金持ちの家ばかりでなく、ごく庶民の家も移築されているところ。
目を見張るような民家ばかりでなく、苦労と忍耐が忍ばれるような、質素な暮らしぶりがかいま見れる。




satousimegoya4.jpg


上3枚は円筒形に茅葺き屋根が載った砂糖〆め小屋。
普遍的な美しい佇まいは、竪穴式住居からの延長線上にあるんだろう。。。
竪穴式住居をそのまま地上に持ち上げたのが茅葺き民家で、茅葺き屋根の小屋組こそが、現代と縄文を繋いでくれている、今にも切れそうな大事な糸なんだと、左官の小山さんが先日教えてくれました。




しこくむら


外壁に板を張らず、土を塗り固めて大壁にした民家をたくさん見ました。漆喰も塗っていない本当に土壁。朝鮮半島
の古民家とそっくりです。過分な装飾がない分、それらの建物は実にモダンに見える。そして、どこか可愛げがあるんだよね。全然いばってない。その感じが好きです。




石室2


写真はたくさん撮ったけどきりがないのでひとまずこれだけ。
敷地内には安藤忠雄設計の資料館もあって、テラスから瀬戸内海を見晴るかすことができる。
天気も良くて、ゆっくりこの四国村を見て、僕たちは帰途につきました。

コンパクトにまとまった高松市。充実の2泊3日でした。
今回は市街地から離れた場所へ多く出掛けたので、今度行くときは市内のショップをまわってみたいなぁ。




pachinko issou


ちなみに。
宿泊は素泊まり3千円ちょいの三友荘ってところに泊まっていました。
安さで選んだので特に不満もなかったんだけど、造り付けのクローゼットのなかには何故かパチンコ台が・・・笑。
一湊くん初めてのパチンコ、の図。ハイ、北斗の拳でした。たぶん、オーナーの真心のおもてなしなんだろう・・。
妻は、こんなのなかったら服が掛けれるのに・・・とぼやいてましたが・笑。





  1. 2012/12/17(月) 13:11:20|
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高松2

瀬戸内生活工芸祭を拝見した次の日、午前中はジョージナカシマ記念館へ。

ジョージ・ナカシマは日本人の両親を持ち、アメリカで生まれ育った日系アメリカ人で、家具デザインの世界では知らない人はいないほどの有名人。天然木の形状を活かし、割れや白太などのいわば欠点と見なされてきた部分を含めた全部を、木の個性として受け止め、愛したのであろう人。食養でいうところの、一物全体といったところでしょうか。なんとなくそれは、人間が世界の主体となるのではなく、客体となる。或は一部となると言った方が正確なのかもしれないけれど、そういう世界観の表現だったのじゃないかという気がします。ナカシマさんは家具をつくりたかったというよりは、家具をデザインする、そして自らつくるという行為を、表現手段として選んだのじゃないか。
写真ではないナカシマデザインの家具に触れながら、そういう印象を感じていました。

僕は最近まで、ジョージ・ナカシマのデザインした家具が好きという訳ではなかったけれど、ここはすごく良かったです。2階建ての館内の2階がミュージアム、1階はカフェとショップ。決して大きな施設ではないけれど、落ち着きがあって、欲を出した感じがなく、かといって極端な余白もない。全体にナカシマという筋が一本通っているからでしょうね。

広大な森を伐り拓き、自ら設計したというペンシルヴァニアの本拠地、コノイドスタジオに行ってみたい・・・いや、恥ずかしながら本音を言えば、自分自身がそういう場所をつくってみたい。。。この焦げるような匂いが手土産となりました(子供の頃、長い物語が好きだった。はてしない物語とか、ゲド戦記とか、すごく好きだった。その本のなかの世界に入り込んで、その世界に属することが出来るくらい長いお話が。。。)





isamunoguti.jpg



午後は牟礼町のイサムノグチ庭園美術館へ。
敷地内は写真撮影禁止の場所が多かったので、写真は撮れなかった。
これはアトリエの敷地を外から眺めたところです。
石垣の向こうがアトリエの敷地で、背景に石を切り出す山が見えている。
手前の石彫?はイサムノグチ作品ではないと思います。

見学は1時間のツアー制になっていて、連休中なので参加者も多い。
僕は以前からenergy voidという作品を生で見たかったので、制限時間のほとんどをenergy voidの前で過ごしました。

近くで見て、すこし離れて。『触れるな』の注意書きを無視してナデナデして。だって彫刻作品なんだから触らなくちゃなにもわかりません。話しかけて、なるべく自分を空っぽにして、風が通るようにして、忘れて、忘れて.......

僕は現代のアートという言葉の解釈に混乱して、違和感を覚えているもののひとりですが、間違いなくartであるもの、少なくとも自分にとってartであるものはわかる。それは出会いのようなもので、大抵の場合、自分が空っぽになるような感覚を伴っています。

energy voidという作品名の、voidは、虚空とか無限とかいった意味。和訳して、言葉で解釈しようとするのは無意味なことだと思うけど、自分が受けた印象は、energyの充ちたvoid。充ちた虚空。いま、ひとつの言葉が思い浮かびます。前にも書いた事があるけれど。父・大島龍の版画のなかからです。

『 空っぽでみたされてすべてある 』


イサムノグチは、本来ならばまだかたちを伴っていない状態、まだ名付けられていない状態を表現したのではないかと思う。それは、『なにもない』ように見えて、『すべてがある』状態。僕は彼が師事したブランクーシの彫刻がどうしようもなく好きですが、このenergy voidは、ブランクーシの創作とは異次元で、イサムノグチのオリジナルな世界の波打ち際、、、という感じがした。

いやあ、良かったなぁ。入館料が高いから、また行こうとはいまのところ思わないけれど・笑。
原始の、富士山頂のようなもの、なのかもしれない。


つづく











  1. 2012/12/17(月) 01:22:14|
  2. 日々
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