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ものつくりの生活と仕事から。 大島寛太の日記パート2

 すこーし仕事が一段落ついたので、先日はビールを下げて、大好きなせいやんとそんちゃんのところへ遊びに行ってきました。






70数年間生きてきた手。この手が、過不足なくせいやんの生きてきた時間を物語っていると思う。






看護婦もしていたそんちゃんの手。












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  1. 2012/07/23(月) 20:07:00|
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銀木犀に追加納品する椅子12脚に、今日やっと2回目のオイルをかけ終わったところです。

材はホワイトアッシュ。はじめにつくった試作は、試験を兼ねて家で使いはじめて1年余り経ちますが、すこしずつオイルが焼けて色が濃くなってきています。

オイル塗装では、1回目はとにかくたっぷり、木材のなかに深く染み込んでゆく様に刷毛で塗り、少し間を置いてから拭き取ります。2回目からはほとんどオイルを吸い込まなくなり、ごく薄く塗膜を重ねる感じで塗りひろげ、手早く拭きあげます。拭き漆の場合も同じですが、なんといっても1回目に、執拗に深く吸わせるようにしています。本当ならオイル風呂にとっぷりと漬け込みたいくらい。

塗装は材種や用途によって、結構いろいろなものを使い分けますし、同時に実験も兼ねています。現在主に使っているのはエコ・オーガニックハウスさんで扱っているブレーマー社の木材用オイルで、ドイツ製。アウロ、リボス、オスモなど自然塗料のメーカーは沢山あって、上記のなかアウロ社以外のものは使った事があります。ブレーマー社のオイルは、多分主に皮だと思うんですが、柑橘系の果実から採った油、いわゆるオレンジオイルの類の比率が多いみたいで、独特の香りがします。苦手な方もいるようです(身近にもひとり。トオルさん)が、僕は好きな匂い。この匂いは時間の経過につれ徐々に消えてしまいます。

いちおう、このブレーマーのオイルがメインなんですが、楢や栗など褐色系の経年変化を望む場合は焼け色の濃い桐油をつかうこともあります。これはsemi-acoの加賀さんに教えてもらった京都の山中油店さんで。

ナチュラルオイルを含む油性塗料はつまり油なので、時間と共に酸化しながら黄色く、または褐色に“焼けて”きます。例えばメープルは白い木肌が美しいので、黄変性の少ない塗料が好ましい。そんなときはウレタンオイルというのをつかったり、先日、シンクを落とし込んでつかうキッチンカウンターを制作した際はプレポリマーを初めて試してみました。プレポリマーっていうのは、学校給食の木製食器なんかにも使われている、耐水性に優れた含浸性の塗料です。

今回の椅子は、オイルをよく乾かしてから、仕上げに蜜蝋ワックスをすりこんでおしまい。製作の、最後のページです。








こちら、今夜の帰り道で出会った方。
昨年の台風以来、家の近くの沢の流れが変わって、コンクリの道の上を沢水の幾らかが流れているんですけど、その道の上の流れにどうやらせっせと産卵中であるらしい。車のライトを当てても、30センチまで近う寄っても、手ぶれ防止のためのセルフタイマーの赤く点滅する光も、全く無視。『わたしそれどころじゃないのよ』

僕は蝶も好きですが、蛾も好きです。どうしてこんなに飾り立てなくちゃいけないんだい?どうせ暗い夜に飛び回るのに。僕はどうもこの滑稽で過剰なきらびやかさが羨ましいらしい。

スッパダカになった人間て、なんて地味で飾り気のない姿だろう。毛さえろくに生えてやしない。『それに比べてわたしはどう?ヒマラヤの夜明けって呼んでもいいわよ』。おまけに三日月までかかってる。4つも。

どうも蛾さんたちは人間の願望の化身であるような気がするのです。







  1. 2012/07/21(土) 00:48:00|
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所感

ブログを最近更新していなかったので、
なにか投稿しようと思うものの、、、なかなか言葉が出てこない。
首とみぞおちの間あたりになにかつかえているものがあって。

先日からニュースでも大きく取り上げられている原発のことです。

大飯原発の再稼働、正直に言って、まじかよという想いです。

産業、医療、雇用などの面から、原発の即時撤廃が難しいことは僕でも想像はつくんですが、何故再稼働が必要かという十分な説明もなく、長期的な国としての姿勢も示さぬまま。なんとなくなし崩し的に『しょうがない』というような印象しか受けない。

福島は事故を起こしてしまったけれど、他は大丈夫という根拠はどこにあるんだろうか?福島原発だって絶対に大丈夫という太鼓判を押されて操業していたはずです。ところが自然がどのような振る舞いをするか、人間には完全に予測できない。大体、核廃棄物の処理方法さえ確立されていないのに、何十万年も放射線を出し続けるゴミを生み出しながら今日の明かりを灯すという考え方に、どうしても賛成できない。

そのゴミどうするの?
子供達の子供達の子供達にバトンみたいに渡して行くのは核廃棄物ではなく、安心して呼吸できる空気と、安心して魚を食える海と、安心して作物を食べられる大地でありたい。


僕はどちらかというと社会運動には積極的な方ではないです。
社会運動に興味を持ち始めると、どうしても敵と味方のイメージがつきまとってしまう。こちらが正で向こうが誤。川のこちら側は善良で、向こう岸は嘘つき。もっと白熱するとこちらが正義で、向こうが悪であるという構図になりかねない。

僕は自分が正しい人間だとは思えない。非常に欠点の多い、不完全な個体で、ましてや正しい判断が出来る人間だとは尚更思えない。知識もない、洞察は自分の出来る限りしか出来ない、どの方向へ向かえば世界は明るいのかなど、子供の作文程度のことしか言えない。

でも逆に言うと、子供の作文程度のことならば、主張がない訳ではない。

人生のなかで、僕は善悪で計りがたい場面に出くわす。道はこの先で2本に分かれており、その内の1本を選ばなければいけない。そのようなとき、僕はどちらが自然であるかと考えてみる。自分の心情に対して自然か?という事ではなく、自然界の摂理に沿うているか?という問いです。人間の価値観はみなそれぞれの基準や人生の上に成り立っている。自然の摂理というのは、ただひとつです。

自然という絶対基準から、原発はどうもあまりにかけ離れているように思う。

今年の8月に、これからの日本のエネルギー政策の方向を決定すると、ニュースやFBで見ました。とても大事な問題で、いまは大事なときなんだとひしひしと感じます。僕は脱原発の方向を希望します。


  1. 2012/07/08(日) 23:04:00|
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