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ものつくりの生活と仕事から。 大島寛太の日記パート2

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120年前のキツネのあしあとにあさひがのぼる

出かかったオシッコもちびりあがってしまうほどの風

顔に打ちつける砂

潮にまみれた海鳥の死骸と

うつ伏せに打ちあげられたままのブラウン管の死骸


そのうえを、セグロカモメが凧のように翔んでいる


帰り道を失くしたくないならば

波打際を歩かないようにしなさい

絶え間なく寄せては引く波が

お前を鳥にしてしまうから


・・・・・・・・・・・


昨年10月に北海道へ帰省した折、
海を散歩しながら風景から得た印象です。

思春期から23歳まで、何度歩いたかわからない場所。
すべてをさらけ出せる場所。
からっぽになる場所。
からっぽになってしまう場所。

流転の果ての美しさと腐敗に、平等に吹きつける風

人間の世界の気配は海岸の砂丘を越えるとふと薄れ、
誰も顧みない砂浜の漂着物はみな歳を取っていて、
潮に洗われ、波にもまれ、潮風に吹かれ、
転がり果てて砂浜に打ちあげられている。

“いま”の10年後なのか、20年後なのか、
僕が見ているのは100年後なのか、わからなくなる。

木片を手に取ってみる。
樹脂分はすっかり抜けて、小さく砕け、角は丸くなり、
指でつぶれてしまいそうなほどに風化したいのちのかけらは、こうして来たところへ還ってゆく。
くちゃくちゃにしおれて、脱水機から出てきたような海鳥の死骸を、風と砂が弔ってゆく。

タイヤやテレビの残骸、靴、人形、それら人の手の作り出した、
還る場所を持たないものを、風と砂が弔ってゆく。

それら眼の前にひろがる風景のなかにキツネの足跡がつづいている



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昨日の砂浜をあるく
前人未踏の砂浜
昨日までの思い出は
風と波がすべて洗い流してしまった

汚れなき砂浜をあるく
一頭のキツネの足跡がつづいている

汚れなきとはどういう意味ですか?
と、僕が尋ねる

それは野生である
と、風景がこたえる

打ちあげられた流木、ガラス瓶、ペットボトル、ブラウン管
ロープ、ライター、靴、保冷剤
ちぎれたクラゲ

それからもっと波打際に寄ったところには、
波のかたちに重なった
砕けた貝殻の白いレースかがりのような波紋


全てを受け容れなさいと、風景が言う


わからないのか?
言葉など何の意味もないのだと、風景が言う


朝日を浴びて、砂浜に無数の影がのびている


言葉は狐の足跡よりは
狐の足跡のなかに落ちる影に似ているのかもしれないと思う。


砂に突きささった枯れ枝から、
細くて長い影がのびている。










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  1. 2015/02/10(火) 06:13:31|
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いまのところ

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12月中旬の納期に向けて、銀木犀のための椅子をつくっています。
毎回、発送間際がとんでもない狂騒になってしまうので、今回はそういうことにならないよう、ひたすらと家と仕事場の往復の日々がはじまっています。

前にも書いたことがあると思うんですが、同じものを繰り返し繰り返しつくることが好きです。
繰り返すことが〈好き〉なのとは違うかもしれない。
繰り返し繰り返し歩くうちに、次第にただの草原(くさはら)であったところに、一筋の道らしき痕跡が残り、自分のなかに地図らしきものが残り、迷わずに、シンプルに歩くことができるようになる、そのことに手応えを感じるのかもしれない。

そうして〈つくる〉ことがシンプルになってくると、それまで迷わないように、目的地に到着することに傾けていた注意を、今までの目的の先へ向けることが出来るようになってきて、また新しい模索がはじまる。そのことが好きなのかもしれない。

繰り返しながら変わってゆく、という点で、巻き貝の螺旋のイメージは、自分のなかの〈つくる〉イメージにしっくりきます。いまのところ。

いつも、〈いまのところ〉というのが、わたくしの考え方のポジティブな句読点のようです。

アフリカの諺(コトワザ)で、『カエルの全長は死んでからでないとわからない』というのを読んだことがあります。生きている間は脚を畳んでいるから、死んでからでなければ、そのカエルの本当の大きさはわからない。というポジティブな諺ですが、これは第3者から見た〈評価〉について言ってるんですね。

評価ではなくて、自分自身の主観で受け取る結果なんてものは、ほんとうに、サンズの川を渡りながら振り返ったときにしかわからないのだと思う。それはひとつの果実のようなものではなくて、風景のようなもの、世界のようなもの、印象を決定づける音楽のようなものではないかと思うのです。そして恐らくそれは、穏やかな景色であるに違いない。

だからいまのところは、評価にも結果にも怯えたくありません。












  1. 2013/11/10(日) 01:15:32|
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