日に日に陽気が東経135°北緯33°付近をあたため、陽射しに夏を予感するこのごろ。
畑仕事の母の手伝いでだったか、堆肥場でカブトムシの幼虫を見つけた。
毎年、家の裏手の、木工仕事で出るおが屑を積んでいるところにはカブトムシの幼虫が沢山いて、
夏になると蛹になる前の幼虫を飼育して成虫になるのを待っている。
今年はもう季節が待ちきれないらしく、
自分で飼育瓶を出してきて、土を入れて、幼虫が安心して生活できるよう新聞紙で遮光して、
新聞紙が解けないように輪ゴムで留めて、口にかぶせた新聞紙には錐で空気穴を開けて、
できたっっっ!!!

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- 2018/04/21(土) 00:00:00|
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今年に入ってから製作を続けていた銀木犀〈鎌ケ谷富岡〉の家具。
3月31日にチャータートラックに家具を積み込み、
今回の納品出張はテーブル製作の樫本弘さんにお願いしました。
樫本さんと、納品のお手伝いに駆けつけてくださった松丸さんが送ってくれた画像と、
設計の堺さんからもらっていた平面図を、頭のなかで照らし合わせながら、オープンを迎える銀木犀を想像します。
食堂の一室、のぼり梁?の天井の高い部屋が、特に印象的です。
いままでは総2階建ての設計が多かったと思うのですが、今回はこんなに大広間になっている!
もう何年も前に連れて行ってもらった益子のスターネットのレストランを思い出します。
LINEで送っていただいた画像を拡大して隅々を見ていると、
奥のガラス戸の端っこに、ドラえもんの顔が見えている・笑。
そうだ、この奥は駄菓子屋のスペースだった。
入居者の方がお店のおじいちゃんおばあちゃんとなり、
お菓子を買いにきた近所の子供たちが銀木犀に上がり込んで、
いつの間にか、〈おじいちゃんとおばあちゃんだけが暮らしている場所〉という
目に見えないバリケードが壊れてしまう。
その愛ある魂胆によって進められた駄菓子屋プロジェクトにより、
銀木犀の食堂には近所の子供たちが集まるようになっており、猿山状態だという情報も。
わはははは!
遊びに来た子供たちが、納品した食堂の椅子をハードに使ってくれるのでしょうか、
椅子の背もたれが外れた、または外れそうという事態が起こるようになりました。
前回の椅子からは、背もたれの取り付け方法を改良し、特注した真鍮小ネジで強固に固定。
よしっ!これでわんぱくボウズがいくら来ても大丈夫!
銀木犀に込められた意志に負けないよう、ぎゅっとネジを締め込みます。
・・・・・・・・・・
2011年に1棟目の銀木犀〈鎌ヶ谷〉がオープンし、今回の〈鎌ヶ谷富岡〉が9棟目。
これまで9棟の銀木犀に、主に食堂で使って頂くテーブルと椅子を製作させて頂いてきました。
初めての製作にあたっては、独立して仕事を始めた直後、そもそも椅子をつくるのが初めてという状況で、
1脚目の椅子が出来上がるまでに半年ほど勉強と試作に時間がかかりました。
つくるたびに改善すべき点が出てきて、デザインはもちろんのこと、サイジング、接合部のホゾ組、背中のアール、
座や背当ての取り付け、工作方法を見直して治具をたくさん作ったり、そもそも製作スケジュールを正確に把握するのにも、
何度も繰り返し繰り返しつくるという経験が不可欠でした。
今回の製作では、納期のために慌てたり、クリアすべき課題を先延ばしにしたりせず、
自分のイメージに忠実に、満足のゆく工作が出来たと感じています。
それには仕事仲間の中山君の存在も大きく、ひとりで仕事をしていたのでは気圧されてしまうような仕事量を、
ふたりでこなしてゆく仕事配分も、だいぶわかってきた。
3月に入ってからは本当に集中して仕事に没頭していましたが、
残業中のある日、ふと〈与えられた仕事〉という意識がピコーンとアップデートされました。
この銀木犀の仕事は、運営のシルバーウッド株式会社を通じ、社長の下河原さんから与えられた仕事ですが、
どうもそれだけではないような気がしてきた。
下河原さんとは屋久島の縄文杉の前で出会いましたが、
そのときは下河原さんとの出会いがこのような仕事につながるとは考えもしなかった。
なんで自分がこんな仕事をさせてもらっているんだろう?
いまでも、どこに納品するの?と聞かれ、サービス付き高齢者向け住宅ですと応えると、
老人施設ね、とか、老人ホームでしょ?と言われます。
そういう認識と語彙が、広く支配している業界なのだと思います。
あなたはどんな人なの?と聞かれて。
2足歩行するホモ・サピエンスです。では、表現は大いに不足していると感じます。
そんで僕は、〈まぁそんなようなもんです〉と応えることもありますが、本当は全然そう思っていません。
だって全然違うんだもの。
いつか、〈銀木犀〉という固有名詞が、施設という閉鎖的なイメージを伴わない、
〈みんなの家〉の代名詞として、社会に根付いてゆくのだと、わたしは勝手に決めています。
そう、酢酸ビニールエマルジョン樹脂を〈ボンド〉と呼び、
デニムパンツを〈ジーパン〉と呼ぶようにです。
〈サービス付き高齢者向け住宅〉でもましてや〈老人ホーム〉でも〈老人施設〉でもなく、銀木犀は銀木犀。
理想は高く、たしかな個性が宿っているのです。

- 2017/04/02(日) 15:22:21|
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先週の12月3日、新しくオープンする銀木犀〈浦安〉へ、家具の納品にお伺いしました。
食堂で使っていただくテーブルとアームチェア、それからここで生活される入居者の方たちの郵便受け、パグポスト。
浦安の住宅街の一角に見えてきた新しい銀木犀は、ブルーがかったグレーの外壁に、溢れんばかりの植栽。
いままでは広葉樹が多かった気がするのですが、今回の植栽のメインは松。赤松。
外構の工事はまだ続いていて、植木屋の親方と下河原さんがお話ししています。
植『ソテツのところは栗石を敷いて、なんとかかんとか・・・』
下『いいね!やりたいようにやってよ。新しいことをやっていかないと‥』
ふ〜む。江戸時代、職人に仕事を与え、建築技術や工芸を発展させた“旦那衆”と呼ばれた存在は、こういうものではなかったか。
そんな気がします。
前日仕事場で見送ったトラックから、下河原さんと職員さんと荷下ろしをします。
繊細な工作が積み重なっているポストも、傷ひとつなく届いている。
朝日のなかで玄関先に仮置きしたポストを、『いいね〜、ちょっと写真撮らせて』って言って、喜んでいただく。
最高の納品です。

椅子とテーブルはメープルの無垢材で製作しています。
今回は浦安の納品後に、5年前にオープンした銀木犀鎌ヶ谷へお邪魔しました。
鎌ヶ谷所長の松丸さんが浦安までお迎えに来てくださり、
車のなかで銀木犀での日常や、看取りについてお話ししてくださいました。
ご本人やご家族の方の意志により、銀木犀で最後の時を迎えられた方たちを見守るお話。
急性症状が現れ、病院に搬送された入居者さんを、必死で〈銀木犀という家〉に連れて帰ってくる話。
『この方を連れて帰ったら亡くなりますよ?』というお医者さんに、
ご本人とご家族の意志を伝え、『いいんです』と伝える勇気。
その入居者さんを松丸さんはワゴン車の後ろに載せて、絶えず声をかけながら銀木犀へ帰ってくる。
車椅子を降ろし、ご自分の部屋へと押してゆく途中で、そのおじいさんがトイレを指差す。
もう長いことオムツで、自力での排泄はしていなかったから、トイレ行くの?って聞くと、
おじいちゃんは声は出ないけどゆっくりと頷く。
本当に出るのかなと思いながら、トイレに腰掛けてもらって、彼はその隣りにしゃがみ込む。
いくら待ってもオシッコは出ない。それでも、ほんとに出る?と聞くと、おじいさんはまたゆっくりと頷く。
声を掛けながら松丸さんはそうしておじいさんの隣りでずっとしゃがんでいたそうです。
そうすると、やがてちょろちょろとオシッコが出てきた。
そしてそのオシッコの最後の一滴が出きった瞬間、おじいさんはそのまま、便座に座ったまま、息を引き取ったそうです。
松丸さんは、こんな仕事に携わることが出来て幸せだと仰っていました。
僕は昨年、『家に帰りたい帰りたい』と言いながら、病院で点滴を受けながら亡くなった、大好きだったオジーのことを思い出し、車のなかでボロボロと泣いてしまいました。
鎌ヶ谷でお使い頂いているテーブルは、5年間よく拭き込んで使っていただいた様子が、表面の艶になって現れていました。
納品した時より、ずっとずっと良い。
銀木犀を始めるときに下河原さんが仰っていた〈施設じゃなくて家をつくりたいんだ〉という言葉をいつも思い出します。
いまは真新しいメープルのテーブルと椅子も、いつしか日常のなかに溶けて、物語のなかに溶けて、ヨゴレもシミも受け容れて、家の一部になってくれることを祈っています。
愛知県の北洋木材さんで仕入れたメープル材。
それぞれの板から必要な部材を切り出すための墨を入れる、木取りの作業。

僕の墨壷はザトウクジラです。

納品の朝は、下河原さんご一家と舞浜駅で待ち合わせ、
組み立てを社長直々に手伝っていただきました。
娘の愛ちゃんは、我が家の環子とおんなじ3歳。
サイズ感もよく似ており、『かんた〜!』って呼んでくれます。

食堂は3部屋にゆるやかに分かれており、障子窓のこの部屋は穏やかな光。

お昼ご飯は僕がリクエストし、大好きなうなぎ!
忠道さん、今度は和歌山で天然食べましょうね!

photo by shimogawara
photo by shimogawara
今回の納品では、テーブルは樫本弘さん、
パグポストは脚、取っ手金物以外の製作を石田徹さんにお願いいたしました。
ノックダウン式ラウンドテーブルの下地金物は、海南の現代鍛冶屋HOUSE HOLD INDUSTRY 武田氏の職人仕事。
ノックダウン式テーブルの特注真鍮金物は大阪の南製作所様。
椅子の張り地加工は田辺市のリ・カバー 荒瀬さんにお願いしています。
材料の手配では、北洋木材のKさんにご尽力いただきました。
そして今回もまるまる1ヶ月休みなしで追い込みを共にし、最後から2脚目の椅子の組み立てでぎっくり腰となった中山君。
ほんまお疲れ様でした。
製作に先立っては設計の堺さんに大変お世話になっています。
ひとりではできない仕事を、こうして信頼できる先輩、仲間たちとひとつのチームになって積み重ねてゆけることに心から感謝しています。
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- 2016/12/15(木) 15:14:00|
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4月末に、江東区の銀木犀〈東砂〉へポストの納品でお伺いしました。
GWのかかりで乗り物が込んでおり、予約の取れた夜行バスでam5:30に秋葉原に降ろされます。
都市の早朝は割と好きな空間です。
駅前で酔いの覚めないまま、始発を待つスーツ姿の若者たち。
高架下で身を覆う毛布すらなく横たわるホームレスたち。
シュールな寓話の世界に迷い込んだような感覚を覚えながら、
工具を入れたスーツケースを引く自分を空から見ているもうひとりの自分を感じながら。
都市の早朝は波打際に似ていると思う。
・・・・・・・・・・
道幅の細い、昔ながらの商店街のなかというロケーションの一角に建てられた銀木犀〈東砂〉。
控えめな外壁の道路に面したガラス窓から、室内のあたたかな照明が見えてきます。
玄関は間口1間ほどでしょうか。
ガラスを大きく取った建具と同じくガラスの入った袖壁の片引き戸になっていて、
過不足なく、〈家の玄関〉にちょうど良い印象を受ける。

そのエントランスのガラス越しにはワンちゃんがお出迎え。
スリムで小柄なラブ?かテリアは置き物なんですが、通りがかるたびにびっくりしました・笑。
玄関を入ると、まっすぐに廊下が奥へ伸びています。
廊下の左側が小食堂。少し進んで右側に事務所のオープンカウンター。
廊下の突き当たりを左に曲がると、大食堂のあるホール的なお部屋に繋がっています。
館内は一見、ごく自然にこうなった、という顔をしているのですが、
これらの間取り、天井の高さ、廊下の幅、照明、本棚の奥行きなどが
僕にとってはちょうど良くて、こういうのをヒューマンスケールと呼ぶのだろうかと感じていました。
まっさらな敷地に空間を構築してゆく過程を想像し、
ひとつの建築を構成する想像力と忍耐に思いを馳せることができる。
これは非常な幸せだと感じます。
玄関を入った廊下の右側の壁に、今回は初めて壁掛けタイプのポストをご注文頂いただきました。

僕の仕事場は十何年か前までは地区の町内会館として使われていた建物で、
軒下の共用部分には20戸分ほどの集合新聞受けがあります。
山村と呼んでも間違いではないような、里山の中腹に位置する集落で、新聞を戸別に配達するのは別料金がかかる。
現在は5〜6戸分のもっと小さい班ごとに新聞は配達されていますが、
考えてみるとマンション1階の集合ポストと同じシステムなんですね。
仕事場の新聞受けは、大工さんがコンパネで釘うちでつくった、良く言って〈ラフ〉なものですが、
数年前に下河原さんが初めて僕の仕事場に来てくださったときに、
〈かわいい〜〉って言ってそれを見ていたのを覚えています・笑。
写真も撮っていたような気がする。
その集合新聞受けが、今回の壁掛けポストのモチーフです。

材料は栗。
モチーフは薄い板で簡素につくってあるのが魅力だと感じていたし、壁掛けにするので軽くする必要もある。
ホゾ組みが出来て、かつビジュアル的に不安を感じない程度に部材の厚みを決めました。
12mmの前板は1枚の盤から挽いた共木を使っています。
薄めの板なので、反りを抑えるために縦仕切り板と蟻桟で組んで、
蟻の仕口を隠すためと、柔らかい栗材の摩耗や傷、新聞のインク移りでの変色を防ぐため、
前板の上の木端は堅いウェンジ材を矧ぎ足しています。
新聞の3つ折が多分ちょうど入って、ハガキの頭が少し出る深さ。
品名差しは真鍮のデッドストック。
ダウンライトも点けてもらって、仕事場で見ていたときよりもずっと背筋が伸びて見えます・笑。
下河原さんはシンガポールでのエイジングケアコンペへ出撃中のためご不在でしたが、
今回も良い経験させていただきました。
設置、納品をフルサポートしてくださった設計の堺さんにも深謝。
ありがとうございました。


小食堂と大食堂をつなぐ廊下

大食堂のふたつの小部屋。
共用のフリーキッチンがあって、台所があるのとないのでは、住まいとしての自由度が全然変わると思う!

3月末に納品したメープルのテーブルと椅子
照明や小物などのディテールにまで、配慮が行き届いていて、気持ちがいいのです。

- 2016/05/25(水) 06:43:01|
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美作市の加賀さんからDMをいただきました。
岡山市の〈ゆくり〉さんでの個展は4/16~4/24まで!
それにしてもすごいDMです。
1週間の会期なのに、8ページのオールカラー。
この愛する作家の魅力を、残さず搾り取ろうという・笑、
ショップオーナーさんのお気持ちがひしひしと伝わってきます。
会期中、木のうつわのお手入れにまつわるトークイベントや
木のうつわを用いたお茶会、お皿つくりのワークショップなどの企画があるようです。




使って愛でて、味わいを増す木のうつわ。
これは2月に和歌山市のti.poさんでの展示会にお邪魔した時の画像です。
お皿の上に、焼き菓子やおにぎりやを空想してしまう。

同じくti.poさんにて、デザートのプレートをランチにする環子。
可愛く撮れたので親心です。加賀さんごめん・笑。
このプレートも、Semi-Acoのうつわ。
このうつわを、無垢のラテーブルの上に置いて、そのテーブルはお庭のパラソルの下に置いて、
傍らの木にはハンモックがかかってて、お天気は晴れ。
そういう点から拡大する風景をイメージさせてくれる雰囲気が、Semi-Acoの魅力だと感じます。

FOC倉敷のDMもいただきました!
今年は実行委員+出店者でご参加とのこと。
ますますのご活躍、すごいやんか〜!
- 2016/04/12(火) 06:56:42|
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昨年秋に承った、お寺の額。
樟に拭き漆で仕上げています。
1尺×6尺が2枚。
文字の画数の多いこと多いこと。
イレギュラーで大変な仕事でした。


- 2016/04/04(月) 23:47:53|
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銀木犀〈東砂〉には、
テーブルとアームチェアの他にソファベンチを発送いたしました。
ソファ:クッションが効いてて、座ってくつろぐイメージ。
ベンチ:背もたれがなくて、ちょいと腰掛ける短時間使用のイメージ。
辞書で引いてなんと出てくるかはわかりませんが、
このふたつの、似て非なる用途を掛け合わせて2で割ったようなものが今回のテーマでした。

毎日の食事の際にお使いいただくものなので、座ったときにお尻が深々と沈み込むようでは、
立ち上がるときに苦労する方もいらっしゃるだろうし、ご飯を食べるのに前傾姿勢も取りにくい。
かといってファミレスのベンチ席のようではくつろげない。
どのような住宅にも、店舗にも、その場所に与えられた役割があると思います。
設計の狙いというのでしょうか。
〈東砂〉では1階フロアには、エントランス、職員室、相談室、
オープンな食堂のなかにも、ラウンジ的なスペースや、壁際の2人席、共用のキッチンなどがあります。
この長椅子は、3方閉じの小部屋に、テーブルをはさんで向かい合わせに2台配置されます。
銀木犀では親族の方が遊びに来ることも多いようだし、見学の方も多い。
毎日のなかでは入居者の方の3食のための食堂の一角であるし、またもう少し親密に長い時間を過ごす場面もあるはずです。
食事の際は前傾姿勢をとりやすく、
深く腰掛けたときには後傾姿勢をサポートするような座り心地を持った長椅子。
というのが、テーマの具体的な内容です。
シートに合板下地を使うと、沈み込みが少ない分、前傾姿勢はとりやすいのですが、
深く掛けたときにお尻が前に滑るような感じが否めません。
あれこれと試してみた結果、ウェービングテープ下地を試してみることにしました。
座枠に、伸縮性のある帯状のテープを格子状に張り込み、その上にクッションをのせます。
これだと、長時間座っていても底付き感がなく、お尻が鬱血するような感じもありません。
前寄りに浅く腰掛ける場合には、木の座枠が過度な沈み込みを防ぎます。
テープ張り下地は、椅子の張り方としてはごく基本的な方法です。
いままで自分で試してみたことがなかったので、是非やってみたいと思っていた。
今回、実際にこの方法で椅子を張ってみることができて、非常に有意義な経験になりました。
改善すべき点も多いのですが、
こうして新しい課題にトライする機会を与えていただいたことに心より感謝いたします。



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- 2016/04/01(金) 12:00:42|
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銀木犀〈東砂〉へ納品する家具の製作がひと段落つきました。
言いたいことなんてなにも残っていない。
すべて家具に放り込んだ。
・・・
というのが率直な心境です・笑
昨年末の材料の買い出しから、他の仕事をはさんだものの、3ヶ月間の製作をひとまず終えて、
昨日積み込みを終えた4tチャータートラックを見送りました。
今年は梅の開花が早く、1月のうちに咲き始めた梅の花にカメラを向けていたのがつい先日のよう。
銀木犀の食堂でお使い頂いているアームチェアは、試行錯誤を繰り返しているのですが、
今回は4回目のマイナーチェンジを施し、まずは製図と型板起こしから。
それから届いた材料を選材し、どの板をどのように使うかを鉛筆で印を付けながら考えます。
この作業は木取りといい、地味ですがとても大事にしています。
木目、キズの有無、目(繊維)の通り方などをよく観察し、一脚の部材はなるべく一枚の板から取るようにします。
というのも、材木屋さんで仕入れる板材は、様々な丸太から挽いた板がランダムにひと梱包になっており、
人間のひとりひとりに個性があるように、同じ樹種の板であっても色や木目、総じて目に映る印象はさまざまです。
このように一本の丸太から取れた材料のことを、〈ともぎ〉といい、
字は〈共〉でも〈友〉でも間違っていないように思います。
加工は部材ごとに行いますが、組み合わせたときに部材ごとの個性のギャップが混在しないよう、
木取りのときにつけた〈ともぎ〉の合い印は転写しながら最後まで残しておき、組み立てのときに揃えます。
さて東砂はメープルです。
いままで銀木犀には、ホワイトアッシュ、ナラ、山桜、メープル、ウォルナットと5種類の材種で、
椅子とテーブルを納品させていただきましたが、経営者の下河原さんから〈今回はメープルでいこう!〉というお話しがありました。
明るい色目の木肌は緻密で、派手さはなく、清楚な印象。
一見すると繊細で柔らかな印象を受けるのに、材質は重硬で粘り強い。
木に触れていると思うのですが、どの木にも人間の性質に例えられそうな特徴があります。
メープルは、清楚でつつましく、穏やかな笑顔の奥に、強い意思を秘めた女性。
・・・という感じがします。個人見解では、与謝野晶子です・笑。
シェーカー家具といえば家具の様式、生き方に直につながった、様式を越えた思考の産物としてあまりに有名ですが、
シェーカー教徒もまた、メープル材を愛用しました。
控えめな表情、穏やかな光沢、長い年月の使用に耐える強靭さ。
それらの性質がシェーカー教徒が美徳とするものと一致していたのではないかと想像します。
シェーカーの家具では適材適所が実践されているので、なにもかもをメープルでつくるということは、当然ありませんけれど。
シェーカー教徒の暮らしというのは大変に厳しく自分を律するものであったようです。
自給自足、外界ほぼ断絶、早寝早起きで質素勤労に徹し、性交は禁止。
子孫をもうけないのですから、シェーカー教団が消滅してしまったのは自然な結末だと思いますが、
そうした厳しい規則のなかで、シェーカー教徒が存分に持てる能力を磨き、
引き出しの取っ手のひとつにいたるまで美しく造形する意思は、
生かされていることへの感謝でもあったように、僕は思いを馳せます。
ディテールは違いますが、銀木犀にも同じ〈意思〉を感じます。
楽しく毎日を過ごす。元気に毎日を過ごす。感謝を忘れずに過ごす。
特別なことではなく、それは大抵の人が持っている普通の願いだと思います。
そんなふうに、最後まで普通に生きる。
個人的に、また社会的に。
そういう場所をつくる。
それが、銀木犀の使命なのだと、下河原さんのお話しを聞くたびに感電します。
〈普通〉を〈自然〉に置き換えても良いのかもしれません。
〈普通〉とはなんなのか、〈自然〉とはなんなのか。
それを決めるのもまた意思なのだと思います。

発送を終え、妻の差し入れでご苦労さん会の昼酒.。
3月2週目からは一日も休まず、連日の残業もいとわず、
毎晩インスタントラーメンをひとつ鍋から分かち合った中山君はもはや同志です・笑。
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- 2016/03/31(木) 05:00:51|
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2016年。
今年は、少なくとも和歌山県南部では気温があまり下がらず、暖かな元日となりました。
昨年末までは銀木犀に納品する椅子の製作。他にも2件の仕事があり、師走らしく仕事場と家の往復の日々。
10月からは、技能専の後輩で、ごく近所に住んでいるBOBOこと中山君が仕事を手伝いに来てくれて、2人で仕事をする素晴らしさを再確認。
セミドライに?結構雰囲気良く2人でやれていると思っているんだけど、中山君、どうですか・笑?
29日から保育所が休みになり、こうなるともはや仕事どころではない。

30日は妻の実家での恒例のお餅つき。
朝のうちは北風が吹いていて、臼も餅米もあっという間に冷めてしまう。
9時頃から風が止んできて、一枚また一枚と着ているものを脱ぎ、秋に初めてお会いした〈たまゆら堂〉さんの有機玄米を発芽玄米にしてお餅を搗く。この餅米は美味しいです。
6名の兄妹と従兄弟は朝から陽が傾くまで遊びまわる。夕方になり、鬼ごっこに参加した僕があまりに本気に鬼になったために、一湊と同い年の従兄弟を泣かせてしまい終了。
31日に年賀状の準備をしながら、なにかふさわしい文言をと考えながら、ふと年末年始の実感が湧いてくる。どっと。
一湊4歳。環子1歳10ヶ月。
子供が成長するにつれて、毎日がジェットコースターのように1周してゆきます。
日々の繰り返しのなかで、疾走感はあるのですが、何かを積み上げてゆく建設感は乏しい。
大きなプランのなかで、今日一日の割り当てを遂行し、パズルを1ピースずつ埋めてゆく、そういう感じがない。
それはそれで良いのだと、もちろん思うのです。
頭の中と心が別のことを考えているようでは、まさに〈いま〉を行きている子供たちとは全力で遊べない・笑。
〈今この場で〉わたしは黒ニンニンジャーになって、青ニンニンジャーと決闘しなければならない。
そういう場面の連続です。毎日、毎晩。そうでなければ面白くない。
しかしこう、平たく言えば将来展望が曖昧。
イメージはあるのですが、現実化してゆく過程が曖昧で、具体的に描けていない。
ここのところが今年の最大の抱負です。
2016年。
全てのわたしたちを生かしている、わたしたちである自然に感謝を捧げつつ、
皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
大島 寛太
- 2016/01/02(土) 01:44:53|
- 日々
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昨年12月から製作を続けていた銀木犀〈西新井大師〉の家具の納品に行って参りました。
6棟目の銀木犀に、今回はウォルナット。
障子を採用した柔らかみのある空間を、廊下をまたいで2部屋に分けた食堂に椅子とテーブルを納品させていただきました。
奥はソファ席になっていて、2人掛けのテーブルが4台並んでいます。

足立区の住宅街の一角で、午後になると向かいの道路をたくさんの子供が往来しています。
そんな立地を見て、経営者の下河原さんが思いついたのが〈駄菓子屋〉。
ラウンドテーブル奥の腰窓の向こうにもうひと部屋が見えていると思うのですが、
道路に面した一角を駄菓子屋として地域に開放しようというアイディアです。
十分に写真をとる時間がなかったのですが、駄菓子屋スペースは室内とバリアフリーの土間、
それから小上がりになった明るい畳部屋になっていて、入居者の方が〈お店のおばあちゃん・おじいちゃん〉となり、
すっかり顔見知りになった子供たちが室内に上がってきて、いつのまにか子供と入居者さんの
コミュニケーションの場になってしまう、という魂胆です・笑。
しかし一体、誰が決めたんでしょう。高齢者の方は高齢者の方ばかりで集まって過ごすなんて。
ほんの少し前までは、家に祖父母と息子家族が同居していて、それぞれに役割分担が出来たはずなのに、
都市部では会社を退職すると途端に仕事がなくなってしまう。
田舎だと、いわゆる〈稼ぎ〉とは別の〈仕事〉がたくさんありますから、おじいちゃんおばあちゃんも元気な気がします。
個室とベッドと椅子があるだけでは、自分の居場所は生まれない。
下河原さんは、『入居者さんの仕事をつくるが俺の仕事』とも仰っていました。
駄菓子屋の仕事を通し、子供とのコミュニケーションを通し、地域とのコミュニケーションを通し、ここに住む人達に
〈自分の居場所〉をつくってほしいという願いの顕われがこの駄菓子屋なのだとひしひしと感じます。
今回も下河原さんが組み立て作業を手伝ってくださいました。
後ろからすごい勢いで追ってくるので、焦る焦る・笑
あっちこっち走りまわりながら組み立てました・笑
- 2015/03/27(金) 14:52:34|
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shore
120年前のキツネのあしあとにあさひがのぼる
出かかったオシッコもちびりあがってしまうほどの風
顔に打ちつける砂
潮にまみれた海鳥の死骸と
うつ伏せに打ちあげられたままのブラウン管の死骸
そのうえを、セグロカモメが凧のように翔んでいる
帰り道を失くしたくないならば
波打際を歩かないようにしなさい
絶え間なく寄せては引く波が
お前を鳥にしてしまうから
・・・・・・・・・・・
昨年10月に北海道へ帰省した折、
海を散歩しながら風景から得た印象です。
思春期から23歳まで、何度歩いたかわからない場所。
すべてをさらけ出せる場所。
からっぽになる場所。
からっぽになってしまう場所。
流転の果ての美しさと腐敗に、平等に吹きつける風
人間の世界の気配は海岸の砂丘を越えるとふと薄れ、
誰も顧みない砂浜の漂着物はみな歳を取っていて、
潮に洗われ、波にもまれ、潮風に吹かれ、
転がり果てて砂浜に打ちあげられている。
“いま”の10年後なのか、20年後なのか、
僕が見ているのは100年後なのか、わからなくなる。
木片を手に取ってみる。
樹脂分はすっかり抜けて、小さく砕け、角は丸くなり、
指でつぶれてしまいそうなほどに風化したいのちのかけらは、こうして来たところへ還ってゆく。
くちゃくちゃにしおれて、脱水機から出てきたような海鳥の死骸を、風と砂が弔ってゆく。
タイヤやテレビの残骸、靴、人形、それら人の手の作り出した、
還る場所を持たないものを、風と砂が弔ってゆく。
それら眼の前にひろがる風景のなかにキツネの足跡がつづいている
shore
昨日の砂浜をあるく
前人未踏の砂浜
昨日までの思い出は
風と波がすべて洗い流してしまった
汚れなき砂浜をあるく
一頭のキツネの足跡がつづいている
汚れなきとはどういう意味ですか?
と、僕が尋ねる
それは野生である
と、風景がこたえる
打ちあげられた流木、ガラス瓶、ペットボトル、ブラウン管
ロープ、ライター、靴、保冷剤
ちぎれたクラゲ
それからもっと波打際に寄ったところには、
波のかたちに重なった
砕けた貝殻の白いレースかがりのような波紋
全てを受け容れなさいと、風景が言う
わからないのか?
言葉など何の意味もないのだと、風景が言う
朝日を浴びて、砂浜に無数の影がのびている
言葉は狐の足跡よりは
狐の足跡のなかに落ちる影に似ているのかもしれないと思う。
砂に突きささった枯れ枝から、
細くて長い影がのびている。
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- 2015/02/10(火) 06:13:31|
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